会えないけど、長続きする人がいる

会えないけど、長続きする人がいる

2017-09-19    03'57''

主播: 蒋诚实(あや)

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介绍:
会えないけど、長続きする人がいる 親しさの深さは、会っている回数では測れない。年賀状のやり取りだけで、もう何年も、会っていない人もいる。だからといって、その関係が虚しいものだとは思わない。それはそれで僕にとっては実に不思議なつながりなのだ。  僕は人付き合いがかなり悪い。パーティーに出かけるよりは、閉じこもって本を読んでいるほうが好きだ。電話をもらうのはうれしいが、こちらからかけるのは、照れ臭い。  会いたいけど、なかなか会えない人もいる。もう子どもではないから、お互いにいろんな事情もある。会いたい人に自由に会えた子どものころが懐かしい。会えない人のほうが、もっと心に残っている。  僕が本を書くのは、会えない人への手紙でもある。お漬物屋さんが自分の店で漬けた漬物を贈るように僕は自分の本を贈る。作家は本をタダ出版社からもらえると思っている人もいるが、僕はちゃんと買っている。本を贈ると、読む前に返事をくれる人はうれしい。ちゃんと読んでから、感想を添えて手紙をくれる人もうれしい。さらに、名物などを添えてくれる人もうれしい。何も返事がなくても、うれしい。  忘れたころに、深夜、お礼のFAXが入るのもうれしい。字が乱れているのは、酔っているせいだろう。その証拠に、名前を書くのを忘れている。名前を書くのを忘れているくせに、FAX番号はちゃんと覚えていてくれたということがうれしい。  世の中には、筆無精の人が結構いる。筆無精だからといって、感謝知らずだということではない筆無精の人の思いのたけのほうが、深かったりするのだ。  たとえ返事がなくても、贈り続ける。もし迷惑なら捨ててくれるだろう。もっと迷惑ならもうやめてくださいと連絡があるはずだ。返事などなくても、黙って受け取っていただけるというだけで、うれしいことなのだ。  人にものを贈るという行為は、これくらいの気長さが必要だ。人と付き合っていくには、オール・オア・ナッシング(all or nothing 孤注一掷、极端)ではだめだ。返事が来ないから、来年からやめようと考えるようでは、まだまだ贈り物の悟りの境地には程遠い。  贈り物は、贈ったほうが、贈ったことを忘れているくらいが、ちょうどいい。返事が来ないといらいらするのは、贈ったことをいつまでも覚えているからだ。  あの時の贈り物は、うれしかったですと、何年もたってからいわれるのが、贈り物の醍醐味なのだ。 虽然无法相见,却还是能长久维系关系的人 与人的亲密度是不能用见面的次数来衡量的。只通过收发年贺状而多年不见面的人也是存在的。即使这样,我也不认为他们的关系是虚假的。但对于我来说这还真是一种不可思议的羁绊啊。 我是个不擅长与人交流的人,比起参加派对,我还是喜欢一个人宅起来自己看书。虽然拿到别人的电话是我会很高兴,但是要我主动打电话给别人,那就真会害羞起来了。 虽然想见面,但是却无法相见的人也是有的。因为都已经老大不小了,所以大家都有着自己的事情需要忙。真是怀念那段想见就见的孩提时代啊。无法相见的人,更能留在内心的深处。 我写书的原因之一是作品也能当作是给无法见面的人的信。就像腌制店会把自家制的腌物送给别人一样,我把自己的书送出去。虽然也有人觉得作家都是从出版社直接拿到书本的,但我可是自己掏钱包买的。送出书本之后,收到未阅者的回函我会高兴,收到已阅后附带感想的回函我会高兴,收到附带地区特产的回函我会高兴,即使收到后不回信,我也会感到高兴。 在无意中的深夜里,收到感谢的Fax也会很高兴,字写得潦潦草草的,大概是醉了吧。证据就是连名字都忘记写了。明明连名字都忘记写了,却清楚地记得fax地址这件事我也很高兴。 在这世界上,不愿意动笔的人还真是多的去了。虽说是不愿动笔,但也不能说他们全无感谢之心。不愿意动笔的人的想法才是真的深啊。 即使一直没有回信,也一直送书过去。如果觉得困扰的话大概是扔了吧,如果觉得更加困扰了,那就会出现求别再发书过去的联络了。即使不回信,只是默默地收着我的书,我也感到很高兴。 送礼的这个行为啊,是必须有这种程度的耐心的,与人交往的过程是不能孤注一掷的。没有回信那下一年就不再送礼的这个行为距离领悟送礼的真谛可是远着呢。 这送礼嘛,就是用送完之后忘记才好。收不到回函就一直毛毛躁躁的,那就是因为一直记着自己送礼了。 “那时候收到礼物还真是高兴啊”,在若干年后重提往事才是送礼的精妙之处。
上一期: 「心の処方箋」による
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