なぜ外国人は[日本人は偽善者・ヒポクリット]という?

なぜ外国人は[日本人は偽善者・ヒポクリット]という?

2015-10-18    07'29''

主播: 恬恬的月儿

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介绍:
有的时候,你会不会觉得,日本人好像对谁态度都很友好,可是真遇到什么问题,对方又好像没那么把自己当回事。说他们是伪君子吧,又好像有点过了,难道和日本人真的很难做真心朋友吗?为什么那么多外国人觉得日本人伪善呢? 日本にいる外国人は(全てではないが)よく、「日本人と友達になるのは難しい」という。その理由をつっこんで聞いてみると、「日本人は何を考えているかわからない」とか、「日本人はうわべだけ」と言われる。日本在住外国人の中には、日本人のいないところで、「日本人はhypocriteだ」と言う人もいる。 据说,在日外国人(不是全部)经常说“很难和日本人成为朋友”。究其原因,像是有“不知道日本人在想些什么”、“日本人只是表面友善”。侨居日本的外国人中,还有在没有日本人的场合说“日本人是伪善者”的人。 hypocrite(ヒポクリット)とは、「偽善者」、「猫かぶり」という意味で、非常にネガティブな言葉だ。英語でヒポクリットと言われると、全面的に否定をされたように聞こえ、ドキッとし、そんなことはないと反論したい気持ちになる。日本人は英語で言うところのhypocriteには当てはまらない気がするからだ。 “hypocrite”的意思是伪善者、伪装和善,是非常负面的词语。被人用英语说“hypocrite”,听上去就像是被人全面否定了一样,惊讶之余,还会想要反驳说没这回事,因为感觉日本人还没到英语“hypocrite”形容的那个程度。 それではなぜ、外国人は日本人はヒポクリットだと感じるのだろうか。どこから誤解が生じ、どこにすれ違いがあるのだろうか。 那为什么外国人会感觉日本人是伪善者呢?是哪里产生了误会,哪里有了分歧呢? それは、日本人が「みんなに等しく親切だから」ではないかと思う。 我想,这是不是因为日本人“对所有人都一样亲切”呢? 筆者がそう思うのは、日本で英語講師をしているアメリカ人のTの体験談が元である。彼は数年前、留学生として日本にやってきた。留学期間を終えた帰国の1年後に、小学校の外国人教師としてまた日本にやってきたのだが、彼が日本へ引っ越してくる際に、諸々の手続きや部屋探しなどを手伝ってくれるよう、留学生時代にできた日本人の友人数人に声をかけたそうだ。 笔者之所以会这么想,也是基于在日本当英语老师的美国人T的经验之谈。他多年前以留学生的身份来到日本,留学结束回国一年后,又作为小学的外教再度踏上这片土地。搬来之际,他跟留学时期认识的几个日本朋友打了招呼,拜托他们帮忙办各种手续、找房子。 彼がそのとき、一番当てにしていた友人はケンタ(仮名)。ケンタとは留学時代にしょっちゅう飲み会を開いた仲だ。Tの帰国後にケンタがアメリカに遊びに来たときは、もちろんアパートに泊まらせてあげたし、観光の案内もした。Tは日本生活を始めるのに、きっとケンタは手伝ってくれるだろうと期待していたそうだ。 T那时最信任的朋友叫健太(假名),是他留学时偶尔一起开烧酒趴的好基友。T回国后,健太去美国玩时,他不仅招待健太住他公寓,还带他观光旅游。T怀有期待,既然自己要在日本生活,健太应该会来帮忙吧。 しかし、「手伝ってほしい」といくらメールをしてもケンタからの返信はなかった。Tはケンタを頼りにしていたので、とてもがっかりしたという。日本語が日常会話レベルの彼にとって、部屋探しのための不動産屋との会話も、大家さんとの会話も一苦労だった。 但是,不管发多少封“希望你能帮帮忙”的邮件,T也没收到过健太的回信。T感到很失望,毕竟自己一直那么信任健太。对于日语只有日常会话水平的他来说,为了找房子,和房屋中介、房东的对话都没少操心。 そんな彼を救ってくれたのは、彼はそこまで仲がいいとは思っていなかった日本人、ケンジ(仮名)だった。ケンジは、彼と頻繁に連絡を取り合ったり、遊んだというわけでもなく、会ったら話す程度の仲だったそうだ。しかし、ケンジは不動産屋を一緒にまわってくれたり、役所の手続きをしてくれたり、休日をまるまるつきあってくれたり、とにかく献身的に尽くしてくれたという。Tはこのときの体験を振り返って、こう語っている。 这时拯救他于水火之中的是日本人——贤治(假名),在这之前他从不认为自己和他关系有多好,他没有和贤治频繁联系或是一起玩,不过是见了面才说话的关系,但贤治却陪他一起逛房屋中介,帮他办理政府手续,休息日全天陪着他,总之可以说是尽心尽力。T回头看这段经历,说道: “日本人はアメリカ人と違って、みんながみんなに親切だから、自分にとって誰が本当の友達なのかわかりにくいよね。日本人と接していると、どの人も僕の”最高の友達”に思えてくる。でも、”仲が良い風”に見える人が本当に自分のことを大切に思ってくれているとは限らない。こういうことはアメリカでももちろんあるけど、特に日本では、自分の友達が誰なのかわかりにくいなぁ。だって、みんなすごく”いい人”に見えるから。” “日本人和美国人不同,所有人对所有人都很亲切,所以很难分辨谁是真正的朋友。和日本人相处的话,谁都会觉得对方是自己‘最好的朋友’。但是,看上去‘关系很好’的人却不一定真的有多在乎你。这种情况在美国当然也有,但日本更甚,很难分辨谁是自己的朋友。没办法呀,谁叫所有人看上去都像是‘大好人’啊。” これは友人ケンタの問題であって、全ての日本人に当てはまるわけではないが、彼の言わんとするところは何となくわかる気がする。欧米人は基本的に、日本人よりも感情をストレートに表現する人が多い。だから、出会った人みんなに親切にするというよりは、自分の気に入った人や仲のいい友人に感じ良く接する。反対に、嫌いな人や印象の悪い人、どうでもいい人にはわりと露骨に嫌な態度をとる。 这是他朋友健太的问题,不是说所有日本人都这样,我明白他想要表达的意思。跟日本人相比,欧美人更多会把自己的情绪直接表现出来。所以,比起对遇到的所有人都好,更像是只对自己喜欢的人、亲密的朋友好。相反,对自己讨厌的人或是印象差的、无关紧要的人就会表现出明显的厌恶。 それに対して日本人は、まず「和」を大切にする。自分と相手だけではなく、その場にいる人全ての感情を”空気”と呼び、和やかな空気になるよう、一人ひとりがポジティブな発言を心がける。その場にいる人全ての気持ちを考えるから、人によって態度を変えることに抵抗がある。本来なら、好きな人とどうでもいい人の両方がいてもいいものだが、相手に「あなたはどうでもいい」という失礼なメッセージを伝えないように、どの人も「好きな人」のように接する。 而日本人则首先万事“和”为贵。不仅仅是自己和对方,他们把在场所有人的情绪统称“气氛”,为了使这种“气氛”融洽,他们每个人说话都只挑积极的说。因为要考虑到在场所有人的情绪,所以他们很抗拒对不同的人采取不同的态度。虽然说本来就存在喜欢的人和无关紧要的人,但为了不传递给对方类似“你无关紧要”的无礼信息,他们对待任何人都像是“喜欢的人”。 このへんが外国人にとっては厄介なのではないかと思う。自分だけに優しくしてくれているであろうと思っていた人が、実はみんなに同じように優しかった…。これを知ったときに、外国人は日本人をヒポクリットと言うのではないだろうか。「せっかく仲良くなれたと思った日本人なのに、なぁんだ、結局はみんなにいい顔する八方美人か…」と、裏切られたような気になって落胆する。 我想是不是这一点让外国人感到很棘手?原本以为只对自己亲切的人,实际上对所有人都同样亲切……。是不是发现这一点的时候,外国人才会用“伪善者”来形容日本人?有种被背叛的感觉,有些沮丧,“好不容易亲起来的日本人,什么啊,到头来不过是对谁都摆好脸的、八面玲珑的人啊。” これはコミュニケーションの仕方の違いなので、どちらがいいとかどちらが合わせるべきだとか、そういう類の話ではないが、日本人が外国人に誤解されやすい要素のひとつとして知っておいてもいいだろう。 这是沟通交流方式的差异,不是说哪一种更好,哪一方应该去配合的问题,知道这是日本人容易被外国人误解的因素之一就好了。 「和を以て貴しとなす」という日本的なコミュニケーションはこのように誤解されやすい。だから、外国人と接するときに日本人としてできることは、いつも以上に「誠実」を心がけるということだ。 日本“以和为贵”的沟通方式也会像这样轻而易举就遭到误解。所以和外国人接触的时候,作为日本人,我们能够做到的是比平时更多的“诚实”。