命の響 左手のピアニスト、生きる勇気をくれる23の言葉

命の響 左手のピアニスト、生きる勇気をくれる23の言葉

2016-02-17    14'05''

主播: 索谓

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介绍:
◆著者プロフィール 舘野泉さん、1936年東京生まれ。 1960年東京藝術大学を主席卒業し、1964年よりフィンランド、ヘルシンキ在住。 1968年メシアン現代音楽国際コンクール第2位。 世界各国で演奏会を行い、その回数は3500回を超えています。  2002年に脳溢血により右半身不随となるも、2004年「左手のピアニスト」として復帰。 2006年にはシベリウス・メダル、2008年には旭日小綬章を受賞。 他、受賞歴多数。 こんにちは、ブックナビゲーターの矢島雅弘です。 えー、本作のタイトルを見て、そして序盤を読んでいて思ったことは、 「世界を股にかけ活躍していたピアニストが、右手を失ったら……そしてそれを克服したら……なんて素晴らしいことだろう!」 といった感じで、ハンディキャップを乗り越えた人の手記だと思いながら本書のページをめくっていったわけですが……。 次第次第に、「アレ?おかしいぞ?」と思い始めました(笑) どうして僕がそう思ったのかは、後々語っていこうと思います。 ではまず、本書p12から、こんな文章を紹介します。 右半身麻痺になってからリハビリ1年目くらいの時の舘野さんの気持ちを綴った文です。 「僕は基本的に楽観的な人間だから、闘病中もよく食べ、よく笑っていたけれど、時おり音楽に見放されてしまったんじゃないかと不安になり、どうしようもないやるせなさに襲われることもありました。 (中略) ただ、どれほど気持ちが沈んでいるときでも、一度として絶望にのみ込まれることはなかった。暗闇を手探りしているような日々だったのに、不思議ですよね」 (P.12より引用) 実はこのとき、舘野さんはいつか必ずステージに復帰できる、回復すると信じていたんだそうです。 ご自身で仰るとおり、楽観的なのかもしれません。 もしも僕が同じ立場だったら、きっと絶望に飲み込まれていただろうなと思います。 そういう意味で、この一文から舘野さんの強さ、バイタリティを感じました。 その後、舘野さんは「左手のピアニスト」として復帰をする事を決意。 実は当初は「復帰するのは両手が揃ってから」と思っていて、左手のみの演奏も最初の頃はファンクラブの要請でリサイタルを行っただけで、「ピアノは両手で弾くもの」という固定観念から中々離れられなかったそうです。 「ピアノは両手で弾くもの」という固定観念を取り去り、復帰への後押しをしてくれたのは、意外なものでした。 それは何かというと……音楽への飢え。 幼い頃からピアノに親しみ、23歳で初の演奏会を開いてから65歳で倒れるまで、延べ3500回以上のコンサートを開いてきた舘野さんが、約2年間、思うようにピアノが弾けない生活を送っていたのです。 舘野さん曰く、「ピアノを弾くことは生きることであり、人生そのもの」「演奏を通して、その曲に入り込み、音楽に身をゆだねているうちに、世界と自分が一体になっていく……あの喜びに勝るものはありません」とのこと。 それが、全くピアノが弾けない!世界と一体になれない! この苦しみ、飢餓感が舘野さんを突き動かしました。 ヴァイオリニストの息子さん、ヤンネさんが置いていってくれた一枚の譜面。 イギリスの作曲家、フランク・ブリッジの『左手のためのインプロヴィゼーション』 ブリッジが右手を失った親友のために書いた左手用の曲です。 これを、舘野さんは練習し始めました。 そのときの舘野さんの感想がこちら、 「譜面を広げて何気なく弾き始めたら、自分を閉じ込めていた氷河が一瞬にして溶け、青い大海原が目の前に現れたような気がしました。左手だけの演奏なのに、音が薫り、漂い、爆ぜ、一つのまったき姿となって花開いていく……。 脳溢血で倒れる前と同様に、ピアノを弾くことで世界と自分が一体になっていく……」 (P.14より引用) そして、左手のみの演奏を練習していく舘野さん。 不思議なことに、左手の練習を続けていたら、なぜか使っていない右半身も徐々に回復してきたのだそうです。 そのことについて、舘野さん曰く、 「ピアノというのは、指だけで弾いているわけじゃありません。体の隅々まで呼吸を巡らせ、全身で弾くものです。凍てついた右手では、そういうピアノ本来の弾き方ができなかったけれど、左手なら自然に体全体を使うことになります。長時間の練習も可能です。それが結果として、右半身にもいい影響を与えたんでしょうね」 (P.41より引用) もうこの辺りから、「右半身麻痺になってしまったピアニストの本」なんていうイメージは無くなっていて、 「すごいピアニストが不幸にも右半身麻痺になってしまったんだけど、左手だけでも音楽は奏でられる事が逆に分かった。この人すごいよ。音楽すごいよ。」 という本だと思って読んでいました。 その後、舘野さんは知り合いの作曲家に依頼して左手用の曲を書いてもらったり、左手の曲のみで構成されたコンサートなどを精力的に開催していきます。 また、2006年11月には「左手の文庫」という基金を設立し、右手を失った演奏家のために左手用の曲を作曲家に作ってもらう活動もされています。 そんな舘野さんの活動を通して、作曲家の方々も、左手の可能性に気付き始めたのです。 そのうちの一人、舘野さんの藝大の同期、末吉保雄さんは、舘野さんの依頼を受け作曲したあとにこのように語りました。 「左手の曲をつくり始めてすぐ、これまで経験したことのない自由を感じたよ。『前にどこかで聴いたかな』なんて考える必要がない。『こんなこともできるんじゃないか』『こうしたらどうだろう』と思いつくことのほとんどが、前例のないもの。つまり、オリジナルなんだ。音楽の新しい地平を切り開いている気がしたよ」 (P.145より引用) 舘野さんの同期ですから、末吉さんは70歳を超えたベテラン作曲家です。 そんな大ベテランに「音楽の新しい地平を切り開いている」なんて言わせてしまう、舘野さんの活動、そして音楽の深みに、僕はとても感動しました。 舘野さんの音楽観については、本書の中にたくさん散りばめられているので、ぜひ皆さん本書をお手にとって確かめてみて下さい。 さて、最後に、こちらの本の概要を振り返りましょう。 この本は、ピアニスト舘野泉さんのエッセイであり自伝です。 大きくは3章構成に分けられていて、細かくは23項目に分けられています。 この1項目ずつに付けられているタイトルのようなものが、本文から抜き出された名言集のようになっていて、それが本書のサブタイトル「生きる勇気をくれる23の言葉」につながっているのでしょう。 例えばこんな言葉。 常識ってなんだろう 父は、僕を枠にはめなかった 母は、「はみ出すくらいが面白い」と言った だから、僕はいつも 人生で大きな空間が持てた それと、 できるか、できないかは考えない やりたいか、やりたくないか やりたいと思ったら もう駆け出している このような感じです。 これらの言葉はそのまま、各文章のタイトルにもなりますし、 この言葉そのものが舘野さんの人生観、あるいは人生そのものを描写しています。 本書を読み終えてから、改めて振り返ると、非常に洗練されているなと感じました。 この23の言葉は、まさに書かれてる通り、「生きる勇気」を僕らに与えてくれます。 では、最後にまとめましょう。 本書は、何も知らない人がお手に取った場合、 「ハンデを抱えそれを乗り越えたピアニストの本」だと思うでしょう。 読み出しはそれで良いと思います。やはり興味をそそりますもんね。 でも、本書を読んでいくと、 舘野さんが右半身麻痺になってからの苦労や、新しい音楽を発見する話。 舘野さんのそれまでの生い立ちと、常識に捉われないのびのびとした人生観。 左手のピアニストとして再出発した、舘野さんのとどまることを知らない情熱。 そういったものが、強く感じられるはずです。 楽観的で情熱的でユーモラス。非常に魅力溢れる音楽家の考えに触れられます。 僕は音楽家ではなく、喋り手ですが、舘野さんの音楽観に大きな感銘を受けました。 音楽がそう捉えられるならば、ナレーションはこうできるんじゃないか、とか。 この新刊ラジオを話すときも、こういうアプローチができるんじゃないか、とか。 なんか、こう、アーティスティックな感動がある本なんですよね。 舘野さんの音楽と同じように、皆さんの人生に彩りと少々の遊びを教えてくる、 そんな一冊だと思います。 まずは、「左手のピアニスト」ってどんな人?という単純な興味からでいいので、そこから出発して、舘野さんの世界を味わってきて下さい。 読み終わったとき、世界がちょっとだけ違って見えますよ。