くもることのない瞳

くもることのない瞳

2016-12-13    07'46''

主播: 蓮華

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介绍:
 皆さんは障害という言葉についてどのような考えを持っていますか。人それぞれだとは思いますが、誰もがこと言葉に一種の壁のような感じを覚えるのではないでしょうか。  それでは、障碍者ではどうでしょう。これはもちろん、身体の不自由な方のことですが、この言葉も先ほどと同じように思えるでしょう。  私は、この二つの言葉について、全く抵抗がないといえばうそになりますが、大きな抵抗は持っていません。なぜなら、私の両親も全く視力がない、という視覚障碍者であるからです。  両親の視力がないということは苦労することがたくさんあります。洗濯、掃除……など、いろいろありますが、私は苦労することよりも得ることのできるものの方がずっと多いと思っています。人への接し方、思いやりの心……など、人に対するやさしさを両親から教えてもらった気がします。  しかし、私が中学校に入学して初めての視力検査の時の事。小学校ではずっとAという視力の一番良いところに私はいました。しかし、中学一年の視力検査の時にいきなり落ちて、Cとなってしまいました。  すごく驚くと同時に、とてもショックでした。このことを母に話してみると、それは遺伝だから、仕方ないよ。と言われました。はっきり言って、怒っていました。自分の大切な視力が遺伝というたった一言で済んでしまうことが。その時、私は体中の血液が一気に頭に上ったようになり、カッとなってつい、ひどいことを言ってしまいました。  私の視力はお母さんのせいで悪いんだ。私こんな人の家に生まれてきたくなかった。と強くいってしまいました。  それでは、私の視力が悪いのは母のせいなのでしょうか。確かに遺伝ということもあるかもしれませんが、私にも多かれ少なかれ問題があったと思います。例えば、テレビを近く見過ぎた、それからパソコンをやり過ぎた、などです。それに、中学入学前に私の暗い部屋で勉強をしていた覚えがあります。そうです。原因を作ったのは母ではなく、どちらかといえば私なのです。  私、こんな人の家に生まれてきたくなかった。  この言葉は母に一番言ってはならない言葉だった、といまさらながら私は後悔しています。私の脳裏からは、このセリフを言われた後の母のさみしそうな顔が焼き付いて離れないのです。怒っているような、悲しいような、それでいてとてもつらい顔。私は母のこんな顔をその時初めて見ました。最初で最後。そう、もう二度と母にこんな顔をさせてはいけないのです。  私はまだ、母にこのときのことをきちんと謝っていません。でも、今度は素直に謝れそうな気がします。どんなに遅くても私は母に言いたい。言わなければいけない。一度だけこの言葉を伝えたい。言いたいけれど言えなかったこと言葉を。  今まで私を育ててくれて、どうもありがとう。これからも、どうぞよろしくお願いします。  母は障碍者として、いいえ、普通の人としてたくましく生きています。人としての光を絶やすことなく。  私も三年生になり、視力もDまで落ちてしまいました。でも、私は前の私とは違って全く苦しんでいません。このままいけば私は、視力がなくなる可能性だってあります。でも、私は視力がなくなっても両親のように生きられる地震があります。  私は、自分の生きてきた道、これから通るであろう道に目をそらさずにいたいです。まっすぐ前を見て生きていこうと思います。そして、私なんかにはまだ無理だけど、いつか将来、母のように心の中の曇ることのない瞳を持ち続けたいと思います。  ここで、終わりです。  いつも聞いてくれて、ありがとうございます。