[儀礼]日本人の視点から見た[中国式贈り物]

[儀礼]日本人の視点から見た[中国式贈り物]

2015-11-06    09'42''

主播: 恬恬的月儿

11878 62

介绍:
日本も中国も、「儀礼を重んじる国」で、家族や友人に贈り物をする機会が多い。だが、中国では、贈り物を渡したり受け取ったりすることを、負担に感じることがある。(文:斉藤淳子) 以前、私(筆者)が貴州に出張した時、現地政府から記念品として大きな石製の亀を頂いた。とても珍しいものだが、私一人では持てないほど重たかった。さらに悲惨なことに、私と一緒に出張した中国人男性は、定年退職した公務員の方で、私と同じく重たい亀を持ち運べず、彼がもらった亀も私のところに回ってきた。客として、主人が贈ってくれた贈り物をホテルの部屋に残して帰ることは、礼儀に欠ける。そこで、当時まだ若く、やせっぽちだった小娘の私は、仕方なく、大きな石製の亀2匹を無理して持ち帰るしかなかった。 私はこの時、「贈り物は、『高大上(高級・重厚・上等)』であるべき」という中国人の考え方を理解した。重ければ重いほど、贈る相手への真心が込められている。私の感覚では、中国人と米国人はいずれも「大きさ」を追い求め、「大きい=良い」という観念を持っている。一方、日本人は、「精緻」を追求し、「小さく精密=良い」と考える。日本には、「山椒は小粒でもピリリと辛い」という言い方がある通りだ。日本人は、多すぎる贈り物や大きすぎる贈り物は、かえって相手の迷惑になると考える。だが、この点は、中国人にたびたび誤解され、「日本人はケチ」をいう印象を持ってしまうようだ。 中国で生活する日本人妻として、どうしても馴染めないことは、姑から「箱入りの卵」を贈られることだ。中国人にとって、この贈り物には、相手に対する関心、愛情、幸せを願う気持ちが込められている。だが、私にとって、これは「早く全部食べてしまわねば」という大きなプレッシャーとなる。というのも、日本人にとっては、卵は新鮮さが命であり、主婦は普通、6個入りや12個入りケースを1箱ずつ買う。 また、贈り物は不義理をしてはならないという「プレッシャー」となり、半強制的なものであるゆえ、私は「不自然さ」を感じざるを得ない。 最も良い例として、今年の「教師の日」を挙げることができる。この日、子供たちはほぼ全員、大きな花束を持って登校し、先生にプレゼントした。プレゼントが花束になったのは、学校側が子供による教師へのプレゼントを明確に禁じた2年前からの現象だ。だが、ほとんどの教育熱心な親は、「教師が喜んでくれるなら、やはり贈り物をしたい」と考え、花束ならば気持ちだけでも伝わるだろうと、誰もがみんな花束を贈るようになった。贈らない子供(家庭)は、教師を尊重していないと思われるようで、自分たちのメンツに関わってくる。 中国人の贈り物の特徴として、もうひとつ、気持ちを疎かにしても、贈り物自体の価値を重視し、ブランド物を選ぶ傾向が高いことが挙げられる。 統計データによると、世界トップブランド商品の3分の1は、中国市場で販売されており、その多くが社交上の贈り物という。贈り物はもはや、本当の意味での「贈り物」ではなく、「社交上交換し合う物品」と化した。高級贈答品の「日常化」の「大規模化」は、中国独自の特徴と言えよう。このような状況から、人と人との結びつきが、ますます「物質至上主義」「利益至上主義」の方向に向かっていると結論づけることができる。 実は、私が最も受け取って嬉しかった中国の贈り物は、「形のない」プレゼントだ。本当に結びつきの深い友人の間には、あれこれ考えを尽くした贈り物など必要ない。自分が必要とするとき、心を込めて気持ちに寄り添ってくれるような友情関係―これこそが、私の大好きな中国の神髄だ。