「豊かさ」再考1

「豊かさ」再考1

2020-02-08    03'10''

主播: 认真努力的Dianne

198 0

介绍:
毎年のことながら。新年を迎えると、久しぶりに「年」単位で物事を考えるという気分になる。いつもは、切り刻まれた時間の中で、追い立てられるように時を過ごしてきた自分を、ふと振り返るまたとない機械でもある。悠久の時間とはほど遠い細分化された時間、われわれの日常を支配しているのは、そのような切り刻まれた時間である、しょっちゅう時計を気にしながら、追い立てられるように毎日を過ごしてきた自分を、つかのまではあるが解放感に浸らせるという意味では、「正月」は、実に合理的な「装置」かもしれない。 そんなことを考えると、ミレーの『晩鐘』が思い浮かんできたりする。『晩鐘』の中に描かれている農夫たちは、もちろん腕時計など持ってはいない。柔らかな夕暮れの光の中で、彼らの耳には、教会の鐘の音が聞こえてくる。一日の仕事を終えた安堵感、疲労、そして後で持ち受けている家事への心の準備。教会の鐘の音を聞きながら、村人たちはみんなそうした思いを抱いているにちがいない。しかと、不思議と、その姿は、時間に縛られているとか、画一的だとかいった様子を感じさせない。むしろ逆に、ゆったりとした悠久の時間すらにじみ出ている。 今日の日本では、腕時計は中小学生でさえ持っている。しかし、我々が自由な「自分の時間」を持っているかといえば、決してそうではない。むしろ、腕時計を気にしながら、時間二追われているといった気配である。腕時計、すなわち「リスト―ウオッチ」。ひょっとして、我々は、時計に「ウオッチ」=「監視」されているのではあるまいか。腕時計は、我々の手に嵌められた手錠であるのかもしれない。