「豊かさ」再考2

「豊かさ」再考2

2020-02-09    03'55''

主播: 认真努力的Dianne

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介绍:
 戦後半世紀、経済成長は、我々に豊かな所得とモノ(腕時計も!)を与えはしたが、豊かな「時間」を与えることには成功していない。子供たち、青年たち、働き盛りの大人たち、そして高齢者たちが、果たしてライフサイクルのそれぞれの時期に、自由で豊かな「時間」を享受しているだろうか。数年前、偶然のことから読む機会を得たミヒャエル・エンデの『モモ』は、そうした私の思いを、いっそう確かなものにしてくれた。  童話の『モモ』の主人公モモは、円形劇場の廃墟に住みつくようになった、年齢もどこから来たのかも分からない不思議な女の子である。現代のように管理の網の目が広がった文明社会では、モモのような存在は許されない。その意味では、モモは、現代人がすでに失った様々なものを豊かに備えた象徴的存在である。例えば、彼女は、相手の話しにじっと聞き入ることによって、いつのまにかその人に自分自身を取り戻させるという不思議な能力を持っている。モモの澄み切った瞳は、あたかも鏡のようにこの世界を映しだし、人々は、モモと話しているうちに、せせこましく生き急いでいる自分にはっと気づかされるのである。  ところが、モモを取り巻く世界は、「時間泥棒」に支配され始めている。人間らしく生きるための、ゆったりとした豊かな時間が失われて、人々は、「時間がない。」「暇がない。」と口口に語り始めている。例えば、床屋さんのフージーは、「時間泥棒」に丸め込まれて、自分の時間を「時間貯蓄銀行」から来た「灰色の男」にゆだねてしまう。無駄なおしゃべりは一切やめ、それまで一人の客に一時間かけていた散髪を十五分で済まし、年取った母親と一緒に過ごす時間まで削り、ついには母親を養老院に送り込んでしまう。そのようにして節約した時間を「時間貯蓄銀行」に預けておけば、フージ―が六十二歳になった時には、二十年間の利子が蓄積されて、十倍以上の時間となって帰ってくるというのである。彼はついつい「灰色の男」の口車に乗せられて、「時間貯蓄銀行」に口座を作り「現代的な人間」の仲間入りをすることになったものの、仕事は一向に面白くない。日に日に不機嫌で怒りっぽくなり、いかにもくたびれはてたという様子である。
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