日本之美展室

日本之美展室

2017-11-22    12'58''

主播: zhudanyang88

171 8

介绍:
「初めて日本文化に接しましたが、富士山から浮世絵まで見て、日本への見方が変わりました」 「日本文化への理解を深めるだけでなく、もっと日本語の勉強にも力を入れよう」 「日本に帰ったら、両国友好のために中国の文化を紹介したい」 「歴史的な価値のあるコレクションだと思います」 これらは、中日両国の大学生や日本大使館を含めた両国からのメッセージで、「日本の美」という文化展示室に置いてある感想ノートに書かれているものです。 この「日本の美」文化展示室は、北京の第四環状線から西北部へおよそ1キロの繁華街、「望京」、望むという字に京都の京と書く「望京」にあります。室内には、日本の美を表現したポスター、焼き物、織物、工芸品、コケシ、書籍など3000点が展示されています。凡そ10年前の2006年、李宗恵さんによって始められました。 中日国交正常化45周年特別企画「国交正常化45年の歩み―あの日、その時」 今日時間は、「日本の美」文化展示室と李宗恵さんをご紹介します。お相手は朱丹陽です。 ネズミ色をした16階建ての5階にある「日本の美」文化展示室の入り口は、一見すると普通の家のようです。しかし、ドアを開けて入ると、まるで日本にタイムスリップしたような錯覚を起こします。大きい富士山のポスター、富士山の形をした焼き物、富士山の文様を持った花瓶や器、入れ物、マッチ、そして鮮やかなピンクの桜が描かれている絵葉書や扇子、色とりどりの切手、華やかな花火が印刷されているカード、美人画の浮世絵、シンプルなタッチで描かれた干支の絵、可憐な草花が咲くしおりなど、枚挙にいとまがありません。 これらのコレクションは、李さんが50代に入った1987年から集めたものです。李さんは1958年に北京大学の日本語科を卒業した後、中国人民大学で日本語教師、日本駐在中国大使館領事館、日本の大学での中国語教師、テレビ用テキスト「ビジネス用日本語」や「日本日日談」の編集など、多くの日本に関する仕事を経験してきました。そんな李さんはなぜこの展示室を始めたのでしょうか。李さんの話です。 「それは1986年ごろの出来事でした。中国人画家の馮さんが大阪で展示会を開いていました。展示会の最終日に、展示品の販売があり、『包装紙を買いに行ってくれないか』と頼まれて、私は文房具屋さんに行きました。あれこれ比べて、色彩と模様の地味な紙に決めました。その時、店員さんに何に使うかと聞かれ、説明したら『それはよくないですよ』と注意されました。その色彩と模様は喪中用だと説明してくださいました。おかげで作品の販売は無事に済みましたが、その時に受けたショックは大きいものでした。相手国の文化が分からなければ、本当に大きな誤解や、取り返しのつかない結果を招きかねないと、気づかされました。そして、中国人にとって、日本への認識がどれだけ必要で、重要であることなのかが分かりました。そこで日本人と付き合う、日本へ訪れる機会が少ない一般の中国人に、理解しやすく、効果的な実際のモノを通して中国でも日本の風習や文化を理解してもらおうと考え、モノ集めを始めることにしました」 以来、李さんは意識的にモノ集めをしてきました。特に、ここ数年は、毎年8月ごろに日本へ一カ月ほど滞在して、日本国内を駆け回っています。47の都道府県を踏破し、駅、ホテル、スーパー、フリーマーケット、市場、食堂、金券ショップ、民家なども欠かしませんでした。中にはどれだけ高い料金を提示しても譲ってくれないこともあれば、高額なものにも関わらず、ただで譲ってもらうこともありました。 2006年、李さんは今のマンションを「日本の美」文化展示室と名付け、専用の会場にしました。入口を飾るのは長さ120センチ、幅100センチの2枚の富士山のポスターです。一枚は朝6時ごろ、夜明けの一瞬を捉えた富士山です。薄暗い中にひっそりとたたずむ富士山は、東の空がぼんやりとした薄紅色に変わると、姿を浮かばせ、柔らかな茜色が目の前に広がります。 もう一枚は夕方の富士山を収めた写真です。遠くに見える富士山は影絵のような姿を見せています。そのふもとには港が広がり、市街地のまばゆい灯りが光っています。心を吸い込む力を持った二枚のポスターです。2003年、新潟の長岡駅でこの二枚のポスターを見かけたとたん、富士山の雄大さ、堂々とした様子、穏やかな雰囲気にすっかり心を惹かれました。 富士山をテーマとしたコレクションはいろいろあります。20センチ四方の焼き物は、白い生地に赤紫色した富士山で、くっきりと尾根が表現され、温和な艶を見せています。面白いのは北京で手に入れた九谷焼です。また、富士山が見える東海道五十三次の絵が印刷されているマッチが並んでいます。中には親指ぐらいサイズのものもあり、かわいらしくて、印象的です。包装は当初のままで新品の状態を保っています。これは、80年代に日本で仕事をしていたときに手に入れたものです。領事館近くにあるごく普通のラーメン屋さんでラーメンを食べていたときに、お店のおかみさんからもらいました。このほか、富士山模様の暖簾、花瓶、化粧箱、絵葉書など、様々あります。 日本人の富士山への思い、そして富士山の独特な魅力を通じて、日本への理解に役立つのではないかと、李さんは信じています。 こけしのコレクションも多く揃っています。細長いものだけでなく、こぶしサイズのものもあれば、150センチの巨大なものもあります。首を回せば音を立てるものもあれば、伝統的なスタイルをアレンジした現代風のものもあります。一個一個の作品の底には、作者の名前が記されています。作者の職人としての気概を感じさせる作品です。 さらに『日本百科大事典』10冊セットが並んでいます。一冊が10センチほどの厚さで、茶色の表紙に金色の字で書かれています。めくる部分は金箔が使われ、豪華さがあります。明治41年(1908年)に出版したもので、100年以上が経っています。それにも関わらず、中の人物や植物のカラー印刷は全く色褪せることなく、当初の鮮やかなままです。この貴重な大事典が日本から北京にやって来るまでに、9年ほどかかり紆余曲折の物語がありました。この事典は持ち主の父が最も大事にしていた宝物だったからです。李さんの話です。 「持ち主の話によると、お父さんが生きていた時、毎日のようにこの大事典を使っていました。明治41年に140円で買いましたが、当時としては非常に高価な買い物でした。お父さんは虎の子のように大事に扱い、誰にも触ることを許しませんでした。そのため、持ち主は天国のお父さんのそばにずっと置いておきたいと思っていました」 モノ集めを始めた1987年から今年まで、ちょうど30年。中日両国大勢の人々の協力があったからこそ続けられたと、李さんは感謝の気持ちでいっぱいです。 展示室には、李先生の教え子や友人、大学生、日本文化の研究者、日本関係の仕事に従事する職員、日本大使館のスタッフなどが訪れ、段々と知られるようになりました。特に今年8月には、平均年齢18歳の長野高等専門学校からの学生14人を迎えて交流しました。 今後、ここは中国人が日本の美に触れる場所だけでなく、日本の若者が中国人の心に触れる場所にもなればと、李さんは願っています。李さんの話です。 「国と国との友好交流は理解の上に築かれていると思います。相互理解がなければ本当の友好交流はないのです。理解するには言葉だけでなく、何よりもまずその国の文化を知らなければなりません。そして相手国の文化を尊重しなければなりません。そうでないと、いろんな誤解を招きかねません」 中日国交正常化45周年特別企画「国交正常化45年の歩み―あの日、その時」、今日のこの時間は北京の一角にある「日本の美」文化展示室と設立者の李宗恵さんについてご紹介しました。お相手は朱丹陽でした。