『想象电台』1.3-紫色打火机·爷爷·月亮

『想象电台』1.3-紫色打火机·爷爷·月亮

2017-05-25    12'53''

主播: 读什么日语

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介绍:
『想象电台』1.3 作者:いとうせいこう 故郷に帰ってきてとりあえず住むことに決めてたマンションの五階の部屋に荷物運び込んだ翌日のたぶん午後、新居で煙草吸うのをやめるって約束はしてたんでベランダに出て紫色の百円ライター取り出して下向いたあたりで突如自分の両肩にデカイ鷲の爪が食い込んで、体がぐらぐら揺れて、そのまま僕は空をふわりと飛んで上から町を悠々と見渡していたんじゃないか。なんていうかグーグルマップみたいな感じでした。 想ー像ーラジオー。 ジングル鳴らしても特に話題変わるわけでもなく、あはは、この場所で僕は父方のじいさんのことも何度も思い出してるんですね。それこそ僕が二歳とか三歳だった頃の、人間としての最初の記憶が強い力でがっしりつかまれて浮き上がることで、あとで親の話や写真と付け合わせて考えると、どうやらじいさんに抱き上げられた時の感覚を僕はずっと持っているらしくて。 嫌いな人だったんです。赤ん坊の時はただつかまれて恐かっただけだろうけど、僕が中学一年の夏に亡くなったお袋とじいさんがずっとしっくり行ってないのを知っていて、僕はほとんど直感的にじいさんを嫌う子供だったんでしょうね。直感的に母をかばっていたとも言えますよね。 で、そのじいさんのエピソードのひとつがやっぱり夏の話で、彼ももう少し年はとっていてたぶん七十過ぎにはなっていて、ただのちに親父や兄貴を苦しめるボケは進行していなくて、徘徊癖も出ていない頃なんですけど、僕は小学生で夏休みに母屋のガランとした広間にいて、そこは暗くて涼しくて風がよく吹き通る場所で、同じ部屋にじいさんもいたんですね。 テレビでは甲子園で高校生が戦って、僕はむしろサッカーが好きだったからたぶん従兄弟と遊ぶ予定がドタキャンされて時間がぽっかり空いたんだと思うんですけど、じいさんの方は仕事を親父にまかせてでも甲子園は見たいという野球狂で、籐で編んだ座椅子を縁側の廊下を出して、そこからテレビをじっと見てたんです。 そしたら、じいさんが僕の名前を呼ぶんですよ。冬助って。春夏秋冬の冬の、冬助。芥川冬助っていうのが僕の本名なんだけど、じいさんはさも驚いたことがあるみたいな声を出して、僕にテレビをよく見るように促すんですね。僕は映像を見たんですけど、別に普通の球児たちがいるだけだった。 するとじいさんは、自分の胸を左から右にさして、それから画面の投手の胸を右から左にさした。で、大まじめな顔で、新作がピッチャーだって言うんですよ。新作っていうのはじいさんの幼なじみの悪友です。あれっと思ってテレビ見たら、選手の胸に作新学院って書いてあった。 昔の人が右から左に字を書くのはうすうす知ってたんで、じいさんは院学新作って順番で読んでるんだと急にわかって、僕は狂躁的に笑って違うよ違うよ新作おじさんじゃないよ、あれは作新学院の選手だよと叫んだ。じいさんは苦いものを口の中で転がしているような表情でじっとしてた。 今の今まで、僕にとってそれは本当に気持ちの悪い思い出だったんです。僕が大学に入った年の春にアルツハイマーを発症し始めたじいさんと、その小学生の時の夏休みの記憶が今の今まで入り交じっていたからでもあるんですね。でも、思い返してみれば、彼はその時決してボケてはいなかった。実際何年も普通に仕事を続けて店を大きくしたし、倉を近代的な三階建ての倉庫に替えたのもじいさんなんですから。 つまり、なんのことはない。彼はあの夏の午後、単に僕を笑わせようとしてたんですよね。いまひとつ決まらないギャグをそしらぬ顔で仕掛けてきた。で、すっかり失敗して孫の僕を恐がらせちゃった。仲良くなりたかったんだな、あの痩せた人は僕と。なるほどそうだったのか、と僕は彼を亡くして数年の、この杉の木の上で一人思ってもいるんです。いまだに嫌いだけど。 では、そんなこんなで一曲。1949年、フランク・シナトラで『私を野球につれてって』。